ジローのアメリカ・トホホ旅 抜粋

           ジローのアメリカ・トホホ旅
                でじたる書房 PDF 

           
           まえがき
           目次
           一、 トホホで出発
           二、 マンハッタン・モンスター
           三、 ベルビュー病院
           四、 ジローの予感
           五、 ワシントン・D・Cでの癒し
           六、 アトランタ ストーム
           七、 ニューオーリンズの歓喜と予言
           八、 エルパソの太陽
           九、 ロサンジェルスの空気
           十、 サンタモニカの夢
           十一、帰国と、その後
           あとがき

 

この本は、1997年5月に、著者が、アメリカ大陸を単身で横断した時の体験記です。アメリカを横断した時の移動手段は、全て大陸横断鉄道「アムトラック」を利用しました。

旅は成田空港から始まり、韓国金浦空港経由でニューヨークへ。その後、ワシントンD・Cを通り、アトランタ、そして南部の地、ニューオリーンズへと向かいました。
次にメキシコ国境沿いのエルパソを経て、最終地であるロサンジェルへ。

アメリカ滞在中から日本へ帰国までの短い期間中に、著者自身が実際に体験したスピリチュアルな出来事が書かれています。著者自身の独特な感性によって、あまり使わない用語や内容が、時々出てきますが、一般の人々にも理解できるもとなっています。また同時に、これからの時代に必要なものともなっています。

私達は、人生というトホホ旅を歩いていますが、どのような時でも、必ず、素晴らしいものや、美しい出会いが待っているということです。そして、どのような時でも、愛、希望、そして勇気を忘れることなく、未来に向かって前進していくことの重要性を描写しています。

今現在、闇の中で、もがき苦しんでいる人々にとっては、この本は一つの大きな癒しと、励みになることでしょう。
愛、夢、冒険、そしてユーモアを求めている学生には、ぜひ、手にとって読むことを勧めます。
この本を読んでいる時は、毎日、押し寄せてくる様々な悩み苦しみに対する癒しと、人生に対する希望を感じる時となるでしょう。


抜粋:

七、ニューオーリンズの歓喜と予言 


アトランタの嵐を通り抜けて、私は再び、アムトラックのクレセント号に乗り込み、ニューオーリンズへ向かいました。私は、ニューオーリンズを無事に乗り越えれば、今回の旅は成功だと思っていたのです。
その理由は、ニューオーリンズまで降りて行けば、その惰力によって、ロスアンジェルスまで行ってしまうだろうと思っていたからです。 振り子の原理のようなものです。


私はアムトラックの中で夜を過ごす為に、アムトラック内で販売しているスリーピング シーツを購入しようと、日本を出発する時から計画していました。そのシーツは、アムトラック乗車記念になるものでした。そして、私はシーツを買う為に席を立ち、売店へ向かったのです。売店へ行くと、既に多くの人々がシーツを買う為に列を作って並んでいました。私は自分の番が来るまで、暫くの間、長い列の中で待っていたのです。


私の前に並んでいた人が、シーツを二枚購入したのが見えました。

そして、やっと私の番がきたのです。


「ワン スリーピング シーツ プリーズ!」(シーツを一枚、下さい)


「オゥ! ジャスト ソールド アウト!」(ちょうど今、売り切れたところです)


何と、シーツが、ちょうど私の前に立っていた人で、全部、売り切れになったというのです。前の人が二枚シーツを買ったのを私は見ていたので、その人から一枚を分けて貰おうと思いました。しかし、その人がどんな姿をした人だったか、全然、覚えていませんでした。


「困ったなぁ! こうなりゃ、自分の勘で探すしかない!」


私は、自分の席に戻りつつ、一歩一歩、ゆっくりと歩き始めました。そして左右に座っている人の顔と、その人の持ち物、雰囲気等を注意深く見つめ、全身をセンサーにしながら、静かに歩いていったのです。その時、私は、自分の潜在意識の可能性に賭けました。しかし、全く覚えていない人を探すことなど、通常では、ほとんど不可能に近い行為でした。


「今晩、車内で寝る為に、絶対、その人を見つけ出すのだ!」


時が止まったような時間が流れていきました。全く分からずに、手探り、全身探りで歩き続けている状態が続いていました。すると、一人の年配のおじさんが座席に座っていました。もちろん、その人は、全然、見覚えのない人だったのですが、なぜか、その人のことが非常に気になったのです! それは、何の根拠もないことでした。もし、間違っていたならば、その失礼を謝ろうと思いながら、私は思い切って、その年配のおじさんに尋ねてみたのです。


「エクスキューズ ミー、ディ ヂュー バィ トゥー スリーピング シーツ? 」(失礼しますが、先ほどスリーピング シーツを二枚、買いましたでしょうか?)


「イエス」


「アズ ユー ボウト トゥー スリーピング シーツ、シーツ ハヴ ソールド アウト。イフ ユー アー オーケー、 プリーズ セル ミー ワン」(あなたが二枚買ってしまった為に、シーツが売り切れになってしまいました。よろしければ、私に一枚、売って下さい)


「イエス」


私は、驚いてしまいました。
自分の前に並んでいた人が、どの様な人であったか、全く分からない状態の中で、私は、その人を、自分の勘だけで当ててしまったからです。それは全く根拠のない行動でしたが、列車の中にいる非常に多くの乗客の中から、私は、その一人を探し当ててしまいました。私は、そのような自分に対して、非常に驚いてしまいました。


やっとのことで、シーツを獲得することができた私は、これで何とか身体を休めることができるだろうと思いました。そして私は自分の席に座りながら、一息ついたのです。どうしても、その日の夜は、その列車の中で眠っておかなければなりませんでした。そのために、私は睡眠薬を飲むことにしたのです。その時に飲んだ薬は、アメリカの普通の薬局で購入したもので、アトランタ病院で出してもらった薬ではありませんでした。それはカプセルではありませんでしたが、アメリカ人用の巨大な長い薬でした。


そして私は、その長くて太い薬を、真ん中から二つに手で折り、その片方を飲んだのです。


飲んだ後の一時間位は、全く眠くなりませんでした。
自分の意識は、確実にあったからです。


「おかしいなぁ。私には、あの薬は効かないのかなぁ・・・」


そうしている内に、何か自分の身体が、少し、おかしいことに気がついたのです。


「自分の身体が、全然、動かない。固まっている!」
私の意識は目覚めているのですが、身体の方が、全く動かないのです。

自分の腕が、まるで固まってしまったように動きませんでした。


「自分の身体なのに、全く動かない!」


それは、ちょうど麻酔をかけられた状態に似ていました。


私は、自分の意識で身体を動かそうとしたのですが、全く身体が動きませんでした。自分の腕が、ずっと同じ状態だったので、それを少し動かして、腕の位置を変えようとしたのですが、私の腕が固まった状態のままで、全く動かないのでした!
しかし、さらに不思議なことは、自分の身体が、どういう姿勢でいるのかという事を、どこかで、はっきりと見ている、もう一人の自分がいたということでした。


「私は、とうとう、死んでしまったのだろうか!」


そのような、異常というか、奇妙な状態でいる私を乗せながら、アムトラックはニューオーリンズに向かって、ひたすら全速力でアメリカ大陸を走り続けていたのです。


時間が経つにつれて、自分であって自分でない状態が、あたかも解凍した冷凍食品のように、徐々に溶けていきました。そして、少しずつ、自分の身体が、自分の意志と一致するのを感じた時は、すでに次の日の朝になっていたのです。


外の移りゆく様々な南部の風景を、ただ車内から見ているだけで、あっという間に時間は過ぎ去っていきました。そして、アムトラックの心地よい振動を感じている内に、いつしか、夕方になっていました。そして、あともう少しでニューオーリンズに近づいた時に、私が今迄の人生で、全く経験したことのない事に遭遇したのです。


気がつくと、私が乗っている列車が、何と、空中を走っていたのです! 下を見ると、そこは巨大な湖がありました。


「こ、こ、これは一体、どうなっているのだ! 列車が、空を飛んでいる!」


その時、私の全身の毛が、全て逆立っていました。
強い衝撃が全身に走りました。


「ヒェ〜 列車が、空を飛んでるよ〜」


私の精神は、強度の不眠症と前夜の肉体硬直によって、再び、完全なトホホ状態に戻ってしまいました。


「ジロー、アメリカで、三度目の? トホホ発狂か!」


この続きは、「でじたる書房」から
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at 10:13, 中村 慈呂宇, ジローのアメリカ・トホホ旅

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この本は、1997年5月に、著者が、アメリカ大陸を単身で横断した時の体験記です。

アメリカを横断した時の移動手段は、全て大陸横断鉄道「アムトラック」を利用しました。

旅は成田空港から始まり、韓国金浦空港経由でニューヨークへ。その後、ワシントンDCを通り、アトランタ、そして南部の地、ニューオリーンズへと向かいました。
次にメキシコ国境沿いのエルパソを経て、最終地であるロサンジェルへ。

アメリカ滞在中から日本へ帰国までの短い期間中に、著者自身が実際に体験したスピリチュアルな出来事が書かれています。著者自身の独特な感性によって、あまり使わない用語や内容が、時々出てきますが、一般の人々にも理解できるもとなっています。また同時に、これからの時代に必要なものともなっています。

私達は、人生というトホホ旅を歩いていますが、どのような時でも、必ず、素晴らしいものや、美しい出会いが待っているということです。

そして、どのような時でも、愛、希望、そして勇気を忘れることなく、未来に向かって前進していくことの重要性を描写しています。

今現在、闇の中で、もがき苦しんでいる人々にとっては、この本は一つの大きな癒しと、励みになることでしょう。愛、夢、冒険、そしてユーモアを求めている学生には、ぜひ、手にとって読むことを勧めます。

この本を読んでいる時は、毎日、押し寄せてくる様々な悩み苦しみに対する癒しと、人生に対する希望を感じる時となるでしょう。 


抜粋

そこにはスタテン島行きの船の発着場所があり、そこから船に乗っていくと、自由の女神像の真横を横切っていくのです。私は、バッテリーパークから船に乗ることにしました。
そして、自分が出航したばかりの、ニューヨークの玄関口であるマンハッタンの景色を、ゆっくりと眺めていたのです。

そこには、アメリカの象徴でもあるツィン・タワーが、天に向かって聳え立つようにして立っていました。

「あれがニューヨークのツィン・タワーか・・・」

しかし、この時、私は、このように、つぶやいていたのです。

「この二つの建物が本当に無くなってしまうのだろうか・・・」

もちろん、そうならないことが大切な事であり、また、現実的に、実際的に、1997年の、その時点では、そのようなことになるとは思えませんでした。それは、私の全くの予感であり、想像あり、空想でしかありませんでした。

その船上で、私は、一人空想に耽りながら、不思議な時間を過ごしていたのです。

「大いなる都、バビロンが倒れた」

黙示録の後半には、このように書かれています。
私には、なぜか、その言葉が、どうしても気になってしかたがありませんでした。
 
これは実話ですが、面白いので、ぜひ読んでね〜! トホホ!




 

at 21:08, 中村 慈呂宇, ジローのアメリカ・トホホ旅

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1. トホホで出発

1997年、5月、私は一人、アメリカへ旅立ちました。
しかし、その旅は、いつになく行く前から不安感に満ちていました。
その不安感は、私がその時期にアメリカ合衆国を訪れることが、大きな危機になる事を暗示するものでした。
その不安感は、出発の数日前から私に襲いかかっていたのです。就寝時に、私が布団の中に入ると、なぜか、いつも、胸が苦しくなり、不安になってくるのを感じていたのです。そして、なぜか、とても嫌なイメージが頭の中に湧いて来て、それを押さえることができませんでした。

「この感じは一体何なのだろう」

眠りながら、私は、訳の分からない不安感というものを感じていたのです。

そのような時、心の中の不安感を落ち着かせるために、私は、何回も「大勇猛心」という文字をノートに書き続けていたのです。

「大勇猛心、大勇猛心、大勇猛心」

しかし、そんなことで、不安感が治まるはずがありませんでした。
そのうちに、頭痛までしてくるのです。

「とにかくオレは、ニューヨークヘ行くのだ!」

自分でも訳が分からないものに突き動かされて、ニューヨークへ行くことに決めてしまったのです。

ニューヨークへ行く理由は、六つありました。

第一の理由は、時間が空いていれば興味のある場所へいってみようと常に思っていたこと。
第二の理由は、その時に行くことが、私にとって、大切だと思っていたこと。
第三の理由は、私が新宿で歩いていた時に、何故か「ニューヨークが私を呼んでいる」と感じたこと。
第四の理由は、行こうと思えば、いつでも飛行機で簡単に行けること。

第五の理由は、どうしても世界の中心であるニューヨークという場所を訪れる必要があると以前から思っていたこと。
第六の理由は、アメリカ合衆国の心臓部であり、中心である場所に立ち、その空気を吸ってみたいと思っていたこと。
そして、その時、それが来たと感じてしまったことが全ての始まりでした。

それまでに、私はアメリカ合衆国へ一度訪れた経験がありました。
しかし、その旅は、若かりし頃の私が初めて訪れたアメリカ西海岸の旅でした。
オレゴン州ポートランド、セーレム、サン・フランシスコ、ロス・アンジェルスといった所を私は訪れたのです。今から考えれば、その旅は、心地よい春の午睡のような旅でした。
その時は、私は多くの仲間達と共に、アメリカの文化と言葉を学ぶために訪れたのです。当時のアメリカでは、オレゴン州のセーラムの町でもニクソン大統領の等身大の人形が作られていて、さかんにニクソン大統領に対する抗議のキャンペーン活動が行われていたことを覚えています。私は、ある大学のキャンパスの中で、毎日、英語と異文化のショワーを身体に直接、浴びていました。そして、その時に、初めてカルチャーショックという事を経験しました。

それから月日は、あっという間に流れ過ぎていきました。

「人生、どこへいっても一人旅」

私はこんな調子で、まるで風のようになった気分で出発したのです。
しかし、それがアメリカ一人、トホホ旅の始まりでした。
上野から電車に乗りましたが、嬉しいはずであるのに、成田空港へ向かう電車の中でも、気分は最悪でした。
しかし、私は押し出されたトロッコのように、もう止まることができない状態のまま、前に進んで行ったのです。
私は、自分でも、自分で歩いているのか、歩かされているのか、全く分かりませんでした。私は、この時点で、自分で望んで行っているのか、行かされているのか、既に分からない状態になっていたのです。

「何なのだろう。この気分は・・・」
そう思いながら、成田空港へ着いたのです。
成田空港に着いて、エスカレーターに乗り、二階へ昇っていく時に、何だかこの景色をどこかで見ていたような感じがしました。しかし、その時は、不安感の方が大きくて、あまり気に止めることはありませんでした。
私は空港の中で、一人で椅子に座りながら出発の時間を待っていましたが、何かに押しつぶされてしまうような圧迫感を常に感じていたのです。

「この重苦しい気分は一体、何なのだ?」

そう思いながら、何度も市販の精神安定剤を飲み、自分を落ちつけようとしていたのです。しかし、全く効き目がないのです。

「こうなりゃ、ビールだ!」

私は缶ビールを買ってきて、自分を酔っぱらわせようとしました。
普段の私は、本当に夏の暑い日以外は、ビールも飲まないのですが、この時は、缶ビールを一人で、ゴクゴク飲んだのです。

「精神安定剤にビールだから、少しは効くだろう」

しかし、いくら精神安定剤を飲んでも、缶ビールを飲んでも、全く効果はないのです。そして、重苦しい圧迫感は私を完全に支配していたのです。
この時、トホホのトは、既に始まっていたのです。
出発日は、5月5日、出発時間は、15時55分でした。
何と、5ばっかり! 5が5つ、並んでいました。

飛行機に乗ると、ほとんどの乗客は韓国人ばかりでした。その理由は、アメリカ行きの飛行機は、韓国のキンポ空港経由の大韓航空だったからです。日本と最も近くて遠い国と呼ばれている人々ばかりでした。機内には、日本人は、ほとんどいないようでした。

それは飛行機が離陸する時の事でした。
飛行機が機首を上げて上昇していこうとする時、私の全神経が、まるで一遍に爆発するようになって、私の身体を通り抜けていったのです。私は、その時、完全な神経過敏人間になっていたのです。そして、極度の緊張状態のために、とうとう私という人間は気違いになってしまったと思いました。
もうこの状態で、完全なトホホのトホになっていたのです。

「とうとう、私はイカレテしまった」

私は意識を失いそうになった状態のままで、飛行機は韓国のキンポ空港にトランジットの為に着陸したのです。そして飛行機から出て、私は一人で通路でヨロヨロになっていました。すると、そこで待っている間、私の不安感がピークに達し、心臓の鼓動が激しくなり、息ができないようになったしまったのです。
だんだん、自分の意識が薄れていくことが分かりました。

「ジロー、最大のピンチ!」

私は壁に身体をもたれたまま、一人で、うずくまっていました。
そして、自分の首の付け根を押さえ、自分の身体に対して、必死に呼びかけたのです。そして、祈りました。
非常に重苦しい危機の時間が続きました。

今でもその時のことを思い出すと、その危機を感じてしまいます。
私はどうにかこうにか、意識を失うことなく、自分の生命の危機を無事に乗り越えることができたのです。
そして再び、私はフラフラになった状態で飛行機に乗り込み、訳が分からない不安定な状態のまま、機内で祈りながら静かにしていたのです。一方、大韓航空機は順調にフライトを続け、アラスカ上空を飛び続けていました。

機内には、飛行機の現在位置を示すパネル画面が、誰でも見える様に取り付けられていました。そして、アラスカ上空を通過していく画面を見た時、私は驚きました。 

「あっ、これ、夢の中で見たことと同じだ!」

それを私は、以前に夢で見ていたことを思い出したのです。
私はニューヨークへ行くのに、アラスカ経由で行くことなど全く知りませんでした。しかし、以前、飛行機の夢を見た時に、何かにパネル画面があって、こう言っていたのを思い出したのです。その夢は、非常にはっきりした夢でしたので、日記に書き留めていたのでした。

そして、成田空港に着いてエスカレーターに乗り、二階へ上がった時の情景も、その時に夢の中で見ていた配置と同じであったことを思い出したのです。

「この飛行機は、現在、アラスカ上空を順調に飛行しています」

「何と!これは正夢だったのか!」

そして、飛行機は安全に飛行を続け、無事にジョン・F・ケネディ国際空港へ到着したのです。

「この旅は、私の運命なのか?」

もう私の状態は、その時、既に、完全にトホホのトホホになっていましたが、定められた旅であるならばしかたがない、と運命に全てを任せることにしたのです。

すると、私の体調と気分は、出発前よりも落ち着いてくるのを感じたのでした。

at 16:09, 中村 慈呂宇, ジローのアメリカ・トホホ旅

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2. マンハッタン モンスター

空港内には、怖そうな男性と大柄な女性の警備員が歩いていて、拳銃を身に付けていました。2010年の現在と比べれば、チェックはまだ甘い状態だったのでしょうが、当時の私としては、やはり厳重な警備という感じがしました。
空港の出口で、私は持参していた旅行の本を開いて、その日に泊まる格安ホテルに電話をかけました。そして、無事に、マンハッタンのミッドタウン イーストにあるホテルと連絡がついたのです。
空港の外はすっかり暗くなっていましたが、私はイエローキャブのタクシーを呼び、それに乗り込んだのです。

「マンハッタン、レキシントン アベニュー、○○、プリーズ」

その時、私は飛行機とは違う緊張感を再び感じていました。
それは、マンハッタンという超巨大モンスターの波動でした。
私が乗ったイエローキャブの運転手はアラブ系の人で、さかんに私に何かを話しかけてきましたが、私は緊張と用心の為に、何も話しませんでした。
私は、用心深い目つきで、車から見えるマンハッタンの夜景の流れを、無言のまま、じっと見続けていたのです。
私が全く何も話さないので、アラブ系の運転手は私に対する興味を失い、ただ運転だけを続けていました。
マンハッタンへ向かう入口にイースト リバーがあり、クイーンズボロ ブリッジが見えてきました。

「ああ、これがよく映画に出てくるブリッジなのかな」

私は、自分が本当にニューヨークに来たことと、今という現実に、自分がマンハッタンに入っていくことを、ひしひしと身体全身で感じていました。
そして、レキシントン アベニューにある格安ホテルに入ることができました。
部屋に入ると、なんと、自分の部屋から、エンパイア ステート ビルディングが正面に見えるのです!

「とうとう、ニューヨークにやってきた!」

私は、一つの達成感と同時に、肉体的にも精神的にも最高に興奮していたのです。
そして、少しでも眠ろうと思うのですが、興奮状態の方が疲労よりも勝っていて、全然、眠ることができないのでした。
一応、ベッドに身体を横たわり、静かに眠ろうとするのですが、全く眠くならないのでした。驚いたことに、部屋の前にあるレキシントン通りには、夜じゅう、パトカーの警報音が、ひっきりなしに鳴り続いたのです。それが決して止まないのでした。

「ピポピポピポピポ、ウゥーーー、ウゥーーー」

この音の繰り返しが、部屋の中まで物凄い音で入って来るのです。
思わず窓から外を見てみると、数台のパトカーが思いきり警報音を出し続けながら、夜の通りを、スピードを出しながら走り抜けていくのです。

「何だ、これは? これじゃ、いくら眠ろうとしても、ウエイク・アップ(起きろ)ということじゃないか!」

それが、ニューヨーク・マンハッタンの最初の夜でした。
たぶん、他の通りも同じ状態だろうと思いました。
夜であるにもかかわらず、マンハッタンのパトカーは、そこにいる住人のことよりもスピード違反車の取り締まりで大忙しでした。それにしても、その警報音が、どこからでも良く聞けるほどの大音量で、それが絶えることなく、常に鳴りっぱなしの状態なのには本当に驚きました。

「本当に、ニューヨーカーは、これでよく平気だなぁ」

私の口から出てくるのは、驚きの言葉だけでした。

「日本でも、スピード違反を追跡する為に、パトカーが警報音を出すことはあるけれど、それは必要な時だけだ。それに夜は、ほとんど警報音を鳴らさないよ!」

私は、一人事を言い続けていました。
結局、私は、その夜、全く眠ることができませんでした。
そして、その時、私の気力も体力も、既に完全に針を振り切っていて破壊寸前の状態になっていたのです。

マンハッタンという街そのものが、私の想像をはるかに超えていた世界でした。
それは私にとって、巨大なモンスターでした。
その巨大なモンスターとは、まるで超超巨大空母のように感じてしまいました。
または、マンハッタンが、超超弩級戦艦のように感じてしまったのです。
それは、決して沈むことのない絶対不沈超巨大戦艦空母のようだったのです。
世界中で最強の空母であり、最強の巨大戦艦こそ、マンハッタンの正体でした。
全てが鋼鉄で造られていて重厚で、ありとあらゆる武器が備わっていました。
全ての機能が完備していて、しかも全世界のどこにでも、俊敏に、どのようにでも自在に動くことができるのです。
世界中のありとあらゆるものが、この場所に全て集約し、全ての事を把握することができるのです。
世界で最も重要な事柄に対して、全て、この場所で全てを決定することができるのです。そして、世界中を動かし、支配し管理していくことができるのです。
私が、マンハッタンで感じたモンスターとは、政治、経済、軍事、総てのものを含めた世界最強、最高の都市そのものだったのです。

このマンハッタンを一人で歩いていた時のことです。私は非常に不思議な体験をしました。
それまでに私は一人で多くの外国旅行をしてきました。
しかし、マンハッタンでは、私が、それまでに感じなかったものを感じたのです。
それは私が今まで感じたことのない、全く新しい情報だったのです。
その全く新しい未知の情報の渦が、まるで針のように、一度に私に向かって来て、私の全身に刺ささったのです。 

「ウッ、痛い!」

私は、それは形になっているものではないものでしたが、私の身体の中の意識が、
それを痛みとして感じたのです。
後からその衝撃のようなものを考えてみると、マンハッタンからの強烈な情報の渦が、一度に押し寄せて来た為に、私が受け止め切れなかったのではないかと思いました。
それだけ、マンハッタンという街には、強烈なエネルギーと、特殊な波動があるということを私の肌に教えてくれていたのです。

翌日、私はグランド セントラル ターミナルへ向かいました。その駅は、東京駅のように全ての電車が入り込む中心的な駅です。そこへは宿泊先のホテルから、歩いて行ける距離でした。
グランド セントラル ターミナルへ向かう途中には、多くのビジネスマン達が行き交っていました。その中に美しい金髪の女性も歩いていました。

「すげえ!金髪だ!」

ここはニューヨークの中心のマンハッタンです。ですから金髪の美しい女性がいることは当然のことなのですが、なぜか感動してしまいました。

ようやく、グランド セントラル ターミナルに着き、私は一人で、あちこち歩き回っていました。私は大陸横断鉄道のアムトラックに乗る為に時刻表が必要だったので、それを購入しようと探していたのです。
しかし、どこへ行っても時刻表が見つからないのです。
そのために、私は、人に尋ねました。

「あのー、時刻表が欲しいのですけど、どこへ行けばそれを買えるのでしょうか」

「時刻表は売っていません。貰えますよ」

「え、タダで貰えるのですか?」

「そうです。タダです」

私は、駅のインフォメーション センターへ行き、全米をカバーするアムトラック大陸横断鉄道の時刻表をタダで頂きました。
その時刻表は、日本の時刻表と比べると非常に薄いものでしたが、タダですから文句は言えません。もともと、アメリカでは、鉄道は日本ほど多く走っていないのです。
(私は利用しませんでしたが、グレイハウンドの全米用バス時刻表も入っていました)
「さすが、アメリカという国は、車社会だな!」

一応、私の目的達成ということで、私は再び歩き始めましたが、なぜか気分が悪くなり、歩くことが困難になってきたのです。そして、その場所からタクシーを呼び、それに乗車してホテルに戻ったのです。
もう、その日は完全にダウンでした。
特に何もしていないのですが、気分が悪く、身体も全く動けない状態でした。
そして、その日の夜も、気違いパトカーの騒々しい警報音と、精神的興奮の為に一睡もできませんでした。私の身体も限界に達していました。

「このままだと、ここで死んでしまうかも・・・」

私は、その時、翌日、病院へ行くことに決めたのです。

at 16:08, 中村 慈呂宇, ジローのアメリカ・トホホ旅

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3. ベルビュー病院

翌日、私は病院へ行くことを決めてはいましたが、どこの病院へいけばよいのか、全く分かりませんでした。
何も分からない状態のまま、私は二階の部屋から出て、エレベーターに乗りました。そして一階に着き、エレベーターが開いた時、一人のおばあさんが車椅子に乗ってエレベーターの前で待っていたのです。

「おばあさん、私は病院へ行きたいのですが、近くで、良い病院を教えてくれませんか?」

私は、必死に頼みました。
おばあさんは、年を取っていましたが、優しそうな人で、声が出ないのを絞り出すようにして、私に教えてくれたのです。

「ベルビュー・ホスピタル!」

私が、どういう文字なのかを尋ねると、おばあさんは、文字を紙に書いてくれ、私に、その紙を渡してくれたのです。

(私は、おばあさんに本当に感謝しています。
もし、あの時、車椅子に乗ったおばあさんに会わなければ、今の自分はいないからです。本来、全ての人間が神様からの使いです。人生には、神様からの使いが、世界中に満ちています。人生には、危機があれば、必ず、救いもあります。ですから、どこにいても、自分と出逢った人々を、神様からの使いだと信じていきたいものです。)

そして、私はイエローキャブに乗り、ベルビュー病院へ向かいました。
病院に着いた時に、私は、イマージェンシィ(救急、緊急)になるのだと思い、その窓口へ向かいました。
マンハッタンの病院は、日本の病院とは大違いでした。
私は、病院の中に入り、看護婦のような人を見つけて、さっそく私の事を説明しました。すると、その人は、ある場所へ行くように私に指示をしたのです。
私はそこへ行ってみると、そこは診察をするような所ではなく、普通の事務室の前でした。その部屋の前には、私以外に、列を作って並んでいる人が何人もいました。その人々は、彼等の言葉から、どうやら、ヒスパニック系(合衆国でスペイン語を日常語として話すラテン・アメリカ系の住民)の人々でした。
私は、彼等に混じって自分の順番が来るのを待っていたのです。
そして、私の名前が呼ばれ、ようやく部屋の中へ入ることができました。
その部屋の中には、非常にラフで、愛想のいい女性が一人いました。
最初に、私は、名前、年齢、国籍などを聞かれたのです。

「あなたは、アメリカ合衆国で働かないのですか?」

身体の具合が悪くて一人で必死になって病院へ来ている私に対して、その女性は病状とは全く関係のない質問をしてくるのでした。

「いいえ、私はアメリカで働きません!」

私は、自分の状況が理解できないまま、ただ答えていました。

「オーケー」

その女性は、なぜアメリカで働かないのか、と少し残念そうに私に言いながら、ハンコを押しました。そして、何かが書かれている数枚の提出書類を私に渡して、次に私が行く場所を教えてくれたのです。 
今から考えてみると、どうも、その部屋は、イミグレーション オフィス(移民局)のようでした。アメリカでは、日々、様々な外国人が入国していますので、病院でも、そのチェックをしていたのかもしれません。

教えられた場所へ行ってみると、そこは広い待合室でした。
そこには多くの人々が、アナウンスで自分の番を待っていました。
暫くの間、私は自分の番が来るまで椅子に座って待っていました。しかし、どうやら、時間がかかりそうでしたし、小声と早口の英語で名前がアナウンスされるために、非常に聞き取りづらい状態でした。
私は、一人で非常に心細いのと、時間を持て余していたので、仲間というか、友達を作ろうとしました。
それは何かの時の為に、少しでも情報を得るためでした。
ちょうど隣の席に黒人の青年が座っていました。その青年を見ると足をケガしているようで、足に何かを巻いているのが分かりました。
黒人の人なので、私は声をかけることに少し躊躇しましたが、その黒人の青年が大人しそうな感じがしたので、私は、その青年に話しかけたのです。

「その足、どうしたのですか?」

「工事現場でケガをして、骨が折れてしまったのです」

「それは大変でしたね。ところで、あなたは、どの位待っているのですか?」

「三十分位です」

「大体、どれ位、待つのですか?」

「分かりません」

それは非常に短い会話でしたが、病院の中で、国籍の異なる肌の色の違う人間同士が、お互いの身体の具合について話し合えたということは、本当に素晴らしい経験でした。
困った時はお互い様ということは、本当に世界共通の真理です。

国籍が異なり、肌の色が違うということは、本当は楽しいことです。
私は、非常に好奇心旺盛な人間ですから、もし全ての人間が一種類しかなくて、色も形も全て同じであったならば、興味を持つこともなくすぐに飽きてしまうことでしょう。
世界中に様々な人間がいて、様々な色、言葉、姿や形、そして異なる文化があるからこそ、楽しくて興味が尽きないのです。その多様性の中で、同じ共通性を見つけ出した時は、最高に幸せを感じてしまう瞬間です。
異なるからこそ、魅かれ合い、結ばれていくのです。その最たるものが、男女の関係です。

黒人の青年と、何気ない日常の会話を交わしている内に、私の名前が呼ばれました。そして、待合室の前に進むと、机が一つあり、今度は黒人のおじさんがいました。その黒人のおじさんは、まるで南部のブラック ジョーのような非常にきさくな人でした。ブラック ジョーおじさんは、笑いながら私に言いました。

「そこに座って体温を計りなさい」

渡してくれたのは一本の体温計でした。
ブラック ジョーおじさんの指先を見ると、口の中を指していました。

「何? これ、口の中に入れるの?」

私はそれまで、そういう計り方をしたことがありませんでした。

「ここは、アメリカだ。しかたないな」

私は生まれて初めて体温計を口の中に入れて、それを銜えながら体温を計りました。日本でしたら、その姿は、絶対にお笑いものです。

そして体温を計った後、ようやく私は病院の内部に入り、病室へと進むことができたのです。驚いたことに、病院の中は患者が溢れるようにいて、隙間が無いほどでした。表現は少し大袈裟ですが、まるで戦場の野戦病院のような感じでした。

私はある部屋に入ると、二名の白衣を着た女性が入ってきました。
一人は年配の女性のドクター、もう一人は若い女性のサブ ドクターのようでした。年配の女性ドクターは、非常に知的で素晴らしい女性でした。

若いサブ ドクターが私に、色々な質問をしました。

「どうしたのですか」

「はい、不安感が強くて、全然、眠れないのです」

「それでは両手を大きく広げて、片足で立って、そのままの姿で、上げ下げして下さい」

それは、並行感覚テストでした。私は、それを数度、行ったのです。

「スワロー、スワロー」

サブ ドクターが、その言葉を何度も続けて言うのでした。私はスワローという言葉の意味が、最初、全く分かりませんでした。

「なんでツバメがここで出てくるのだ? ここでツバメのかっこうでもしろ、とでも言うのかな。おかしいなぁ。昔、野球のチームで、近鉄スワローズというのがあったけど、それじゃないし・・・・」
その時、なぜか急に、昔、学校で習った「スワロー、スワロー、リトル スワロー」という文句が脳裏に浮かんできました。

私は、その看護婦さんの喉の動きから、スワローというのは、「飲み込む」という意味であることを感じたのです。
そして、片足状態で立っている時に、唾液を飲み込みました。

色々な動きをチェックされましたが、結局、脳に異常がないと判断したようでした。その後、女性ドクターと、サブ ドクターは、二人で何かを話し合っていました。
それは、お金のことのようでした。

「あなたは今、どこに住んでいるのですか」

「私は、レキシントン アベニュー ○○番地の△△号室です」

二人は、暫くの間、ある事について話合っていました。
そして一枚の書類を渡しながら、最後に素晴らしい笑顔で私にこう言ったのです。

「あなたは、これで眠れます! これを持って、ファーマシィに行きなさい。良い御旅行を! グッド ラック!」

私は、ファーマシィという意味が分かりませんでしたが、行けば分かるだろうと思い、その部屋を出たのです。すると、そこへ行くと、初めて気が付きました。
ドクターが私に渡してくれたのは処方箋であり、ファーマシィとは病院専門の薬局のことだったのです。

「本当に、トホホのホだ!」

薬局は、私に大きなカプセルを三錠、渡してくれました。
それは強力な睡眠薬だったのです。

「ハウ マッチ?」

私は、恐る恐る薬局の人に聞きました。

「ノー マネー」

その時、先ほどの二人の女性ドクターが、私が旅行者の為に、お金が必要だということを考慮してくれて、上手く手配してくれたのです。何という感謝と幸運!

「サンキュー ベルビュー、サンキュー アメリカ!」

バルビュー病院から戻り、その日は、ゆっくり身体を休ませました。
五月のマンハッタンは、夜の8時頃まで街が明るいのです。
それが過ぎて辺りが暗くなると、私はホテルから出て、近くの中華レストランで、麺が太い焼きそばを食べようとしました。しかし、どうしても身体が受け付けず、食べることができませんでした。どうやら私の頭の内部において、激しい興奮状態が依然として続いているのが分かりました。

「困ったものだ」

すぐに私はホテルに戻り、ベッドの下の床に座りました。
私は足を組み、坐禅瞑想を始めたのです。

「無・・・」

私は、全身の肉体が感じる全ての痛み、苦しみ等、一切を持たないようにして、一人、静かに座禅瞑想をし続けたのです。
それは、緊急時における素晴らしい体験でした。
すると、私の頭の感覚が、いつもと全然、異なる状態になっていたのです。
自分の頭が、自分の頭であって、自分の頭ではないような感じがしていました。
これは、言葉では言い表すことはできませんが、私の頭が、肉体としての頭ではないようでした。

「生きていることって、何だろう?」

そんなことばかり、考えていました。
そして、夜も遅くなって、そろそろ眠ろうかと思ったのです。
ここで、ベルビュー病院で頂いた特大のカプセルに挑戦してみようと思ったのです。
日本にいても、私はカプセルを飲まない人間でした。その理由は、形が大きく飲みづらいからです。しかし、アメリカのカプセルは、アメリカ人に合わせて造られているので日本のカプセルと比べると超特大の大きさでした。

「えい」

私は、考えても仕方がないので、一気に、そのカプセルを飲み込んだのです。
アメリカの超特大カプセルは、何回か、喉の奥に引っ掛かりましたが、その度、水を喉の奥に流すようにして、何とか喉を無事通過させたのです。

それから数十分、私の身体に何の変化も現れませんでした。

「おかしいなぁ。これでも効かないのか?」

そしてじっと一人で静かにしていると、突然、私の頭の中で、何かが弾けるような不思議な音が聞こえたのです。

「ポワヮーン」

そして、アメリカに着いて、三日目にして、私は、ようやく眠ることができたのです。

at 16:07, 中村 慈呂宇, ジローのアメリカ・トホホ旅

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4. ジローの予感

翌日、私は依然として、精神的にも肉体的にも調子が良くありませんでしたが、午前中は身体を動かし、どこかに行こうと思い、レキシントン通りを、真直ぐにセントラルパークに向かって歩いていきました。
私が泊まっているホテルから少し歩くと、左側の五番街にエンパイアー ステート ビルディングがあり、もう少し先へいくとその姿が独特で美しいクライスラービルがありました。そして、右側に曲がり、イーストリバー沿いに歩いて行くと国連ビルがありました。
私は国連ビルの中へ入りました。国連ビルの前には、拳銃禁止の徴として、拳銃の先端がグルッと捻られて使用できないように結ばれているアートが置かれていました。当然の事ですが、国連の中は、一般人は入れる場所が限定されていて、有名な会議室へ行くことはできませんでした。私は非常に疲労していた為に、売店のある場所へ行き、少しその場所で休むことにしたのです。その中は非常にこじんまりしていて、特に印象的なものは感じませんでした。 
とにかく、私は気の抜けたサイダーのような状態になって、ただ歩くだけの状態でした。私の心は、常に何かに圧迫され、頭は暗く、全身は重かったのです。そのため、私の心は何の感動も、何の喜びも感じることはありませんでした。そして、私はそこで倒れてはいけないと思い、すぐにホテルへと戻ったのです。 

そのような状態でも、午前中だけは不思議と身体が動くことができたので、翌日の午前中に、私はマンハッタンのメインであるWTCビル(ワールド トレード センター ビル)と自由の女神像を見に行くことにしました。
WTCビルまではイエローキャブで行きましたが、その途中で、多くの人々がマンハッタンの街をローラーブレードで楽しんでいました。
街の様子を眺めていると、いつの間にか、タクシーは、WTCビルの前に着いていたのです。私はWTCビルの全体を見ようとしましたが、あまりにも大きすぎて全体を見ることができませんでした。そのために、私は、すぐ近くにあった緑地に寝そべり、下から見上げることによって、ようやくWTCビルの全体が見ることができたのです。
私はWTCビルの中に入り、まず書店を探しました。書店は地下一階にありました。そこで書店の女性と少し話をした後、私はWTCビルの最高階まで行こうとしたのですが、どうしても気分が悪く、それ以上、WTCビルに留まることはできませんでした。そして、それからすぐに、私は、ビルから外へ出てしまったのです。

私は、どうしてもそれ以上、WTCビルの中に入ることができなかったのです。
私は高所恐怖症ですが、普段のように元気な時ならば、私は好奇心が人一倍ある方なので、一番高い最上階まで、必ず、行っているはずでした。
自分でも、何故、エレベーターさえも乗らずに、すぐにビルから出て来てしまったのか全く分からないのです。しかし、その時は、身体全身に、何か物凄い恐怖と不吉なものを強く感じていたのです。

そこから目の先に、バッテリーパークが見えました。バッテリーパークでは、多くの人々がローラーブレードを楽しんでいました。 
そこにスタテン島行きの船の発着場所があり、そこから船に乗っていくと、自由の女神像の真横を通るのです。
私は、一人でバッテリーパークから船に乗り、ゆっくりと、今、自分が出航したばかりのニューヨークの玄関口であるマンハッタンの景色を眺めていました。

そこには、アメリカの象徴でもあるツィンタワーが天に向かって聳え立つようにして立っていました。

「あれがニューヨークのツィンタワーか・・・」

しかし、この時、私は、このように、つぶやいていたのです。

「この二つの建物が本当に無くなってしまうのだろうか・・・」

もちろん、そうならないことが大切な事であり、また、現実的に、実際的に、1997年の時点で、そうなるとは思いませんでした。それは、私の全くの空想だったのです。私は、書店しか訪れませんでした。そして店員と話をして、すぐに気分が悪くなった為に外へ出てしまったのですから、私がWTCビルの中にいた時間は、ほんの十分から十五分位のことだったのです。私は、エレベーターにも乗らなかったのです。

私は、長年、聖書の黙示録を研究していました。この中で最後の辺りに「大いなる都、バビロンが沈んでしまう」という箇所が出て来るのです。私は1982年に世界旅行をしていた時に、バビロンとはニューヨークであるという噂を聞いたことがありました。そのバビロンとは、現代の唯物主義の象徴という意味において、ニューヨークではないか、と私も思ったのです。

「ニューヨークの最も象徴的建物とは、WTCビルではないか・・・」

それは、私の黙示録の読み過ぎだったのかもしれません。
ただ私は、一般の人よりも、少し不思議な事を考えてしまう傾向のある人間なのです。

黙示録の内容とは、人間の進化と浄化のプロセスを、今から約2000年前、パトモス島に流されていたヨハネが、自分の体験記として書き残したものです。そして、浄化のプロセスとして起きて来る身体内の様々な変化を、「大いなる都が沈む」という表現で象徴的に表したものです。そして最終的には、ヨハネは自分の内部に存在する超意識と一体になりました。自分の全ての細胞が完全に入れ替わったことを「新天新地」と呼び、超意識と合一できたことを「新エルサレムの到来」と呼んだのです。今では、そのような理解にようやく達しましたが、この時点においては、まだ私の理解が浅く、黙示録に出てくるヨハネの象徴的な言葉に囚われてしまい、社会的な出来事や外的変化ばかりに注意を向けてしまい、内的意識の中で起きる様々な変化という本当の意味を把握することができなかったのでした。
私は、自分で「現在は黙示録の時代である」と勝手に空想していたのです。
そのためかどうか分かりませんが、私の心は、常に大きな不安感が私をすっぽりと覆い、それが私を捕えて離さなかったのです。

その時、私が、そのような気持ちで一人、マンハッタンの方角をじっと見つめていると、一人の大学教授のような人が私に近づいてきました。

「あなたはマンハッタンが初めてなのですか?」

「はい、初めてです」

「それでは、自由の女神は見ましたか」

「いいえ、まだ見ていません」

「こちら側では、自由の女神は見ることができません。反対側へ来て下さい」

私は、その大学教授のような老紳士に連れて行かれて、反対側のデッキに回りました。すると、船のすぐ傍に、自由の女神像が、腕を天高く伸ばしながら、大きく立っていたのです。
自由の女神は、私を大きな愛で、優しく迎えてくれました。
その老紳士の言葉がなければ、一番、素晴らしい状態で、自由の女神を見ることはできなかったのです。

「救いの手が、私を導いている」

私は、この時、度重なる幸運に感謝しました。

「この場所こそ、アメリカへの入口だ」

その船上から自由の女神像を見ると、17世紀初頭において、信仰の自由の為に、イギリスを捨て、家財産を捨てて、希望の新天地アメリカへと旅立ってきた当時の人々の熱い気持ちが、私にも伝わってきました。

「信仰の自由ほど、人間にとって本当に重要なものはない!」

その時、私は、マンハッタンの聖なる場所において、人間にとって一番重要なものを強く感じたのです。

それは信仰の自由、身分や階級から自由、差別や束縛からの自由でした。

それは同時に、大いなる未来への希望、そして、これから何が待っているか分からない未来への不安でもありました。

人生は一人で歩いて行く旅です。
人は、皆、人生という長い道程を歩いて行く旅人です。
そして、常に新しい出逢いがあり、別れがあります。

人間は、どんな人でも、普遍的テーマと共に、一人一人の個別のテーマを持っています。
普遍的なテーマは、全ての人間が共通するものです。 
一方、個別のテーマは、その人しか持っていない個人のテーマであり、一人一人が、自分という人間の特殊性を探し求め、それを見つけ出し、それに合わせて生きていくという、その人だけの特殊なものです。その二つのテーマを苦労しながら解明していくことが、人生という不思議旅となっています。

この地に訪れた人々は、人間としての普遍的テーマを持ちながら、生きる希望と強列な欲望、そして夢と情熱に溢れた一人一人の個人の集まりだったのです。
そこには、国家、人種、宗教、思想、肌の色等の問題があり、また、不自由、困難、束縛、偏見、貧富、差別、悲しみ、矛盾、不合理等の問題があったのです。

アメリカの歴史は、総て、この自由の女神が立っている場所から始まったと言えます。そして自由の女神は、そこを行き交う総ての人々の歓びも、哀しみも、苦しみも、怒りも、楽しみも、全て受け止めて知っているのです。

        

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at 16:06, 中村 慈呂宇, ジローのアメリカ・トホホ旅

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